目が腫れた

私は何もかも態度に出る。

これは大人として恥ずかしいことだと分かってはいる。

察してほしいという更に恥ずかしい意識があるのかもしれない。

一昨日の落ち込みについて、自分の中で溜めておいたら1ヶ月くらいしたら何かが変わるかと思い28時間くらい溜めておいたが、その間も態度には出ていて困らせていた。

会話すると泣く気がして極力話さずにいたのだが、普段話続ける人間が黙っていたら、そりゃ何かあったと分からせてしまうだろう。

自分の中で消化すると決めたら、そのことを口にも態度にも1mmも出すな、と、至極当たり前のことを言われた。ほんとそう。

1mmも出すなと彼が心から思っているかというと、多分そうじゃなくて、あなたは端々に出るんだから、溜めずに言え、ということなんだろうな、ということまでは、分かるようにはなってきた。

そんな全部を引き受けられる人に出会った経験がないし、そもそも人にそんなに自分のドロドロを全て曝け出したことがないので、全部言ったら関係が壊れるんじゃないか、と思ったら言えなくなる。

が、そう思っているのは信頼していないからだ、と彼は言う。

いやいや、自分が超絶面倒で重い自覚はあるから、全部を出すのはこわいって。

思っていることを全部伝えたら伝えたで、そこから派生してあれやこれや、またネガティブなことが浮かぶ想像力が、多分不幸なことに割と豊かだから、伝えない方がまだマシか、と思うって。

とも思うけど、この人の前では出させてもらって良いんだろう。

出して悪い事態が起こるなら、多分出さなくてもそうなる。

そうなった時に、そんな風に考えられるかは分からない。出さなきゃ良かったな、と思うんだろう。あぁ。自分がめんどくさい。

そんなこんなで、今朝目が腫れてヒリヒリする。クーリングクーリング。

めんどくさい自分はもう変わらないものと諦めて、何かもやっとしたら自分の中で一旦留めようとせずに話すように変わっていこう。できるかどうか、分からないけど。

思考の時間

私は台所担当ではない。

が、タイミングによっては洗うこと、片付けることはある。

洗い方が雑過ぎて、再度洗い直しを毎日されている。

それは別に良い。(いや良くない。丁寧に洗わねばならない。)

昨夜、普段使わない調理器具の収納先が分からずに、普段開けない棚を開けたら、私には好ましくないものが目に入った。

そんなことで騒めきまくるメンタルが自分で本当に情けないのだが、これはもう性なんだろう。

ぱっと見、見えないところに押し込めたが、そこにそれがあるという事実を知ってしまった。

その形状のものを私が持っていても使いづらいと一蹴されたのに、持ってきてるという事実にも、24時間後に気付いて、第二波の騒めきがきていて良くない。

第二波に気付くまで、昨晩も悶々として涙し、案外目が腫れないもんだな、と思いながら今朝からも悶々としてまた気付くと涙し、外にいても何故か左目からだけ涙していた。

家にいたらダメだと思い次男の習い事の間に明日食べたいパンを初めて行くパン屋さんに買いに行ったが、携帯を忘れてきたため30分彷徨った。

地図はふわっと見ていたけど、パン屋さんがある通りになかなか辿り着かなかった。

携帯がないと、より自分と向き合う時間があり、歩きながら考えて、また、自己嫌悪に陥ったり諦めたり破滅思考になったりしていた。

自分の思考の分析に疲れてきたので、本を読んで逃避した。

時間がなかったので、なんとなく江戸川乱歩の人間椅子を読み直して30分逃避。うん。やっぱり良い感じに気持ち悪い話だ。

そしてまた悶々としていたが、今日は光る君への最終回。

1時間、しっかり観た。

本にしろドラマにしろ漫画にしろ、すぐに感情が登場人物に乗るので、思考を休めるのに、とても良い。

さて、大河も見終わったし、今日はウイスキーを飲む。昨日も飲んでたけど。

ブラントンゴールドが好きだけど、高いし手に入りにくいので、色々試している。

今飲んでるのは、フォアローゼスのスーパープレミアム。結構好き。常置していても良いかもしれない。

ネガティブな時に酒を飲むと泣きそうだが、飲まなくても泣くので、美味しい酒を味わいながら泣くんだ。

自分の感じ方を変えない限りは、どうしようもないことだけど、こればっかりは変わらなそう。厄介な性格だと、自分でも思う。

精神的にも肉体的にも

丸くなってきている気がする。

精神的に、元々とんがっているわけじゃないんだが、起伏が激しい。というより、すぐに落ちることが多い。

落ちたら自己解決しようとして、拗らせる。

両極端な考えをする性格なので「こうならこう」とか「きっとこう」と思い込む。

物事は0か100かじゃないと、彼に何度も諭してもらい、そうだよな、と、やっとちょっと理解し始めたかもしれない。

突き詰めたら根底にあるものが白か黒か、ってのはあるんだろうから結局0か100なんじゃなかろうか、と思う自分もいるのだが、世の中根底だけで動いているわけじゃないから、何事も決めつけないのが道理に合っているような気はしてきた。

そして体が明らかに肥えている。

引っ越してからまだ体重計が見付からず自制心が全く働いていないのも原因ではあるのだけど、男子中学生と同じ大きさのお弁当をお昼に食べた後の毎食後のおやつ、しっかり夕食を食べた後の晩酌のおつまみにより、トータル1日4食分のカロリーは摂取している気がする。朝ごはんもパンを2−3個食べるので、一般的な成人女性の摂取カロリーの2倍くらい摂っているじゃなかろうか。

先日も、22時から彼がおつまみを作ってくれて、大変美味しくいただいた。

仕事帰りにスーパーで砂肝と鶏皮が安かったから、と買ってきて、自分の腹ごしらえをしてから、ささっと下処理をして作ってくれた、鶏皮と砂肝と銀皮のおつまみ。鶏皮の大根おろしは私がおろした。(仕事をもらった。)お皿の盛り付けも仰せつかったけどそのまま投入した。写真を撮るなら盛るべきだったかもしれん。

砂肝も鶏皮も日本酒ととても合う。2種の日本酒をいただき、とても良かった。

先週はレバーパテを消費すべくウイスキーを飲みつつ、案外焼酎原酒にも合うのでは、と色々試して、とても楽しく美味しかった。

私は食べることが大好きだが、一人暮らしから数えて26年。料理が楽しいと思えることが全然なく、全く料理スキルが身につかないまま。予想外の出会いに日々感謝してる。

令和六年九州場所

11月場所が終わってしまった。

3日目の11/12に北の富士さんが亡くなられていたとの訃報が中日を過ぎてから伝えられて、今でも喪失感があるけれど、玉鷲の40歳のバースデー白星や湊川親方のとても素敵な解説だったりと、とても楽しい15日間だった。

私以上に大相撲にハマった子供達、特に次男は毎日楽しみにテレビ観戦しており、推しの豊昇龍を熱心に応援していた。

そして昨日、結びで琴櫻に敗れた後、びっくりするくらいフリーズしていた。フリーズしながらも目に焼き付けるように琴櫻の表彰式を見ていた。そして19時半くらいに突然「琴櫻が優勝か。」と自分に言い聞かせるように呟いていた。

私は今は大相撲全体を箱推しだから、面白い取り組みならどちらが勝ってもすんごくショックを受けるとかはないのだけど、次男は入れ込む性格のようだ。楽しいけど年に6回メンタルが揺さぶられそうだ。

私の推しは日馬富士が最後ではあるが、その後も玉鷲も好きだし、次男が推しになる前から豊昇龍も好きだ。朝青龍も好きだったし、初めて行った断髪式は朝赤龍だし、9月場所の時に行った元大相撲力士の白馬さんのお店もめっちゃ美味しかったし、13年前にパスポートがきれて以来は海外に行っていないけど、もしまた海外に行く事があれば、まずは子供達を連れてモンゴルに行こう、というくらい、なぜかモンゴル出身力士ばかり好きになる。玉鷲が継承する可能性があるなら、次男、片男波部屋、良いんじゃないかしら、とか妄想したりもする。

しかしながら、琴櫻の品の良さに癒される優勝インタビューだった。

豊昇龍は真面目でストイックながら可愛らしいところもあると思っているのだけど、どうしてもおじさんの朝青龍をイメージしてしまう人たちが多いようで、むむぅと思うことがしばしば。

ちなみに朝青龍も大好きな力士だった。いいじゃないか。人間らしくて。北の富士さんだってなかなか破天荒だったし、朝青龍がもし相撲界にずっと関わっていたら、面白い解説者になっていたんじゃないかと思う。そもそも神道の神様、みんな結構好き勝手してるし、清廉潔白を求めるのはなんか違う気がするんだよなぁ。

そんなこんなで相撲ロス、北の富士さんロスです。

次男も長男も風邪が治らず、大人たちもついにうつりました。長男は1ヶ月咳が止まらず、覚悟して胸部レントゲン撮ったけど、普通に綺麗な肺野を確認しました。良かったけど、どうやったら治るんだ。問題なかったからか抗生物質は処方されず。抗原検査は感度の問題なのか、キットの在庫数の問題なのか、行われず。

長男も次男も咳が止まらず辛そうだから早く治ってほしい。

私もちょいちょい喉が痛くなりますが、その都度ウイスキー飲んで消毒してます。医学的にどうかは知らん。

一難去ってまた一難

2024年10月26日(土)

かなりブログから離れていた気がしたけど、そんなでもなかった。

難、というかなんというか、という事柄ばかりなのだが、先月は考えすぎて久し振りに胃薬2種飲まないと心窩部痛と胃酸が口まで上がってくる感じがおさまらなかった。

そのことに関しては、決断することで解決した。

私の中ではまだ燻り迷う時もあるけど、このことに関しては1人ではなく2人で決断することだったので、パートナーがブレずに決断してくれているので寄りかからせてもらっている。

それがひと段落したら、自分ではどうしようもないことだが絶対に関わらなければならない問題がこのタイミングで浮き彫りになってきて毎日泣いていた。

こちらに関してはパートナーは直接は何もできない立場ではあるけど、問題を明確にして進めていく助言を厳しくも優しくしてくれて少し前進。

私の気持ちの中で前進なだけの状態ではあるけど、考え過ぎて一周回って、どうとでもなれ、という心情になってきている。また少ししたら毎日泣く周期に入るとは思うけど。

本当にこのタイミングで出会って横にいてくれて良かった。かなり救われている。いなかったらどうなっていたか。

みたいなことを、パートナーが何年も前に当時の別れて間もない元カノを回顧して呟いていたな、、、とか思い出して胸だか胃だか喉の辺りだか分からないところがギューっとなり、そんな自分に嫌気がさすのだが、まぁこのモヤっとした感情も一過性のものということは分かっちゃいるのでやり過ごす。

さて、今日はワールドシリーズ1戦目、面白かった。

今夜はこれから日本シリーズ。ヤクルトファンなので気楽に楽しみである。子達は野球に興味がないのでチャンネル争い必至だけど。

ぶれまくる気持ち

2024年9月24日(火)

3週間前から1週間前まで、気持ちが荒れ狂っていた。

自分でも心療内科への受診を勧める状態だよな、と自覚できるくらいには荒れ狂っていた。

そして1週間前に月経が来て落ち着いたところで話し合いをして今後の方向性を考えたのだが、何を選んでも何かを手放す選択をせねばならず、それはそれでしんどい決断になったのだが、落ち着いて決断はできた。

が、本日のメンタルの振れ幅がすごい。

ものすごくちょっとしたことでひどく落ち込む。そして涙が出る。

そうなると、1週間前にした決断について、迷いはないにしても、また気持ちが落ちる。しんどい。

月経不順になってきていて排卵のタイミングがいまいちわからないのだが、多分月経開始から1週間で黄体期に入ったな。有効な卵胞はでていなそうだから、先週の決断はそれはそれで正解だったんだろうな、とは思うのだけど。なんかしんどい。

何をどうしても辛い気持ちはあるのだからどうしようもないのだけど。

2022年夏 島根・鳥取の旅

2022年の夏旅の記録をしていなかった。

結構濃い目の行程だったし、これは記録に残しておかねば。

いきなりのおしゃれサンドイッチの写真。出発前の羽田で食べた。

羽田からまずは出雲空港へ飛んだ。

出雲空港でレンタカーを借り、まずは出雲大社へ。

私はもう10年近くペーパードライバー。事故のリスクを考えると、これからも運転はしないだろう。ということで、おそらくレンタカーでの旅行はこれが最後。今後は公共交通機関での旅行を楽しむ。

というつもりで、この旅行はレンタカーを活用する行程にした。コロナ前の紀伊半島も同じく。

出雲そばだったかどうか定かではないが、美味しかった。

まずはそばでお昼ご飯。

伊勢神宮に行ってから、是非とも訪問してみたかった出雲大社。

スサノオの人生(神生?)が破天荒過ぎて。

出雲大社のご祭神はスサノオの子孫の大国主神。縁結びの神とされる由来が、色々書かれていていどれが本来の由来か分からない。そのうちの一つは、まぁスサノオの子孫だし、というものだった。

伊勢神宮もとても良かったけど、出雲大社の空気感も好きだった。

出雲大社といえば、このしめ縄。神楽殿のしめ縄。御本殿ではなかった。実際目にすると、想像以上の圧巻。

1日目の宿泊は石見銀山近くの宿。

ご飯がとても美味しそうでこちらに決めた。期待通りとても美味しかった。こちらはメインのお肉だが、前菜から彩り豊かで品数も多く、どれもとても美味しくいただいた。

2日目の朝。

こちらは朝ごはんの写真。テンションが上がる。栄養バランスも良い。

朝ごはん竹籠に盛るの、良いよなぁ。家でもやりたいけど品数用意できないし美しく盛るセンスがないので断念。(食器を増やさないよう、お達しもあるし。)

私的にメインイベントの石見銀山へ。

大久保間歩ツアーに事前に申し込んでいたので、まずはこちらへ。

入坑するまでの道のりも楽しく、間歩坑内も圧倒された。

この漆黒の闇の中で狭い空間で人力で掘り進めていたとは。そしてこんなに掘ったとは。人ってすごい。

ツアーで歴史的な背景もご説明いただいたので、理解も深まり、とても良い体験だった。

石見銀山の大森地区でお昼ご飯。私はこちらのパン2つとレモネードだったかな?美味しいパンに出会うたびに幸せだ。

石見銀山でのんびりしてから、島根→鳥取へ移動。

途中で宍道湖を車窓から見ながら境港へ向かったが、子供達は宍道湖のことをさっぱり覚えていないし、中学受験の最中もしじみと宍道湖と汽水湖が結びついていなかった。興味を持たせる喋りができていなかったかもしれない。

松江から境港に入るあたりで、中海にかかる、通称ベタ踏坂を通過。

ここを通ることを意識していなくて、突然現れて慌てて撮ったので、良い角度では撮れなかったけど、テンションは結構上がる。

いつからだか分からないけど、子達も急に鬼太郎にハマったので、私も前々から行きたかった水木しげるロードに行くのが、多分子供達的に今回の旅の最大のメインイベント。

宿泊は境港駅前のドーミーイン。魚メインの土地で魚アレルギーの子の食事を考えると、ドーミーインのバイキングが本当にありがたい。次男は魚大好きっ子だから、土地のものも満喫できてオーソドックスなメニューも用意してくれていて、温泉好きな子供も満足できて清潔感のある部屋、ということで、子連れで旅先にドーミーインがあればドーミーインに泊まることが多い。

早い時間に夕飯を食べて、ライトアップされている水木しげるロードを散策。

水木しげるのだるま好きだわ。

推したちの影絵、テンション上がる。

ブロンズ像たちもライトアップされて怪しさが増し増しでとても良かった。

3日最終日の朝もしっかり食べて活動開始。

まずは水木しげる記念館へ。

推し妖怪の一人のべとべとさん。ただただ後ろをべとべと歩いてついてくるだけの妖怪。実際に会ったら腰抜かしてちびると思うけど可愛い。

他にも水木しげるの世界を堪能して後にしたが、是非とも再訪したい。昼の水木しげるロードも散策。前日は夜でお店が閉まっていたので。

まさに目玉スイーツの目玉のおやじ饅頭。

おやじさんの頭(目?)を食べると思うとアレだが、普通に美味しい饅頭であった。

水木しげるロードも、次は公共交通機関でまたどうにかして来るぞ、と決めながら、お土産のお菓子を買いに少々ドライブ。鳥取に来たら行かねば、と思っていたすなば珈琲にも行けた。

子達の髪が伸びていたので飛び込みで髪を切りにいきたかったが、まだ新型コロナ5類移行前だから、県外からの人は来店不可のため切れず。

帰りの飛行機まで時間がたっぷりあったので、こんなこともあるかと水着も持参していたし、湧くわく天然温泉ラピスパで遊び、夕飯を食べて米子空港から帰京。プールで次男はどこでどうなったか分からないが足の裏を切り結構な量の出血をしたため、プールは程々で終了となった。そしてその後から次男の足の裏の状態がずっとよろしくない。両足ともよろしくないので、プールでの傷は多分関係ない。

2泊3日と、これまでの遠出に比べると短めの日程ではあったけど、充実した内容の旅行だったな。次男も、また水木しげるロードに行きたいと、2年経った今も言っているし。石見銀山のことを覚えているかどうかは分からない。日本の世界遺産とか習った時に、行ったことある!、と思い出してくれると連れていった甲斐があったと思うのだけど。私が行きたかったから覚えてなくても良いんだけどさ…。覚えていて欲しいと思うのは親のエゴだな。

親も子も楽しむ旅、ということをテーマに行き先や旅程を毎回決めているので、この旅も、自分的には満足できる思い出になっている。

子供が大きくなってきて、家族の形も変わったし、これからどんな頻度でどこに行けるか分からないけど、子達との楽しい思い出が色々な場所に出来ると良いな。

2023年夏の太宰府

書くの忘れてた、旅の記録。

昨年、長男は中学受験生だった。

しかし熱望校に出会わない。受験はしたいけど志望校がない、という、なんで受験したいと言っているのか、という謎状態。

そんな中で小学校の担任の先生が保護者面談でお薦めしてくれた学校の体験授業に参加して本人がどハマりした。私もどハマりした。唯一無二すぎる学校で、学校の特色を話すと、大体不思議そうな顔をされる。

まぁ、そんなこんなで志望校が決まったわけだが、その前に思いつきでほぼ日帰りで太宰府に行くことを決めていた。

ほぼ、というのは、羽田発が早朝過ぎて、始発も動いていなけりゃタクシーも予約できなかったので、羽田で泊まった。福岡自体は日帰り弾丸。

福岡で朝ごはんにやりうどんを食べた。

太宰府に向かうまでにミスドでドーナツを食べてから、太宰府で焼き立ての梅ヶ枝餅を食べた。

牛の像触って参拝して絵馬書いてから、かき氷食べた。

絵馬の志望校は第一希望に直前で体験授業を受けた学校になった。

太宰府天満宮のお隣にあった遊園地で遊び倒して、福岡空港に戻ってラーメン食べた。

ブログのことを考えて撮影していないから人が映り込みまくっているし、むしろ子達の写真ばかりなので、それ以外の写真を貼ると食べたものの記録になってしまう。

旅の目的は食が占める割合が大きいので、旅の記録としては間違いではない。

旅での食を見れば、その周辺の出来事も思い出す。

家族の形態が変わる前の2022年夏の旅行についても書いていないことに気付いた。書かねば。

一人で晩酌中

2024年8月21日(水)

今日は彼は飲み会である。

昨日のうちに、今夜の子達と私の夕飯を仕込み、今日家を出る前に炊飯器をセットして、今日と明日分のお弁当のおかずは昨日のうちに作ってくれていた。ありがたすぎる。私だったら惣菜かレトルトで済ませている。

ということで、今夜は晩酌相手がいない。

飲む代わりにスイーツを、と思い、DEMELのザッハトルテを買いに行ったら残り3つ。彼に内緒で私と子達だけで食べるか少し悩んだけど、3つは子達と彼に買って私はダークチェリーのタルトにした。

ケーキを買うのは1ヶ月半ぶりくらいだろうか。

以前は週2回くらいのペースでどこかしらのケーキを食べていたが、値段が上がった&家賃が爆上がりした、ということにより、自重していた。

久し振りだからか、好物のDEMELだからか、そりゃもうとっても美味しかった。ダークチェリーも美味しいし、タルトがめちゃしっとりしていて大好きな甘さ。

ザッハトルテ、次男は普通に食べていたけど、長男は大絶賛していた。基本的に長男と食の好みは合うことが多い。

そして、今日は飲まない代わりにスイーツのはずだったのだが、ちまちま大事に飲んでいたブラントンゴールドがなくなったので、新しくウイスキーも買ってしまったため、ただいま子達が寝てから飲んでます。

ミクターズUS★1のバーボンウイスキー。

ブラントンが好きということを店員さんに相談して購入してみた。

美味しいのだが、ブラントンとは違うテイスト。同じバーボンでもこんなに味に違いがあるのかと驚きではある。

樽の香りと味が強くて、これはこれで面白いしクセにはなる。

しかしやはり、ブラントンも買っておかねば、とも思う。でも値段が上がりすぎなんだよなぁ。ゴールドを買いたいけど、普通の(?)ブラントンにしようかな、それでもお高いけれども。

ブラントンとは違う枠で、ミクターズを飲み終わったら、他のバーボンも飲んでみよう。30代はスコッチやアイラばっかり飲んでいた。それも今も好きだけど、ブラントンを飲んでからバーボンも飲むようになった。バーボン好きというよりブラントン好きな気もする。

最近、焼酎の原酒や泡盛も日常的に飲んでいたら、喉が若干酒焼けを起こしている気がする。控えた方が良いのかもしれない。

喉に優しく度数高めのお酒を飲む方法はなかろうか。(飲まないのが一番確実な解決策ではある。確実に太ってきているのは酒とつまみのせいだろうなぁ。早く体重計見つけ出さねば。まだ段ボールに眠っているはず。)

次男体調復活

2024年8月17日(土)

先週水曜の日中から熱発した次男。

その後、木曜は3回嘔吐し食欲がないまま数日過ごし、咳はだんだん多くなり、空咳から痰がらみの咳へと変化しつつ、日中もそこそこ多かったようだが夜中から明け方にかけて40分2セットほど咳をし続け、一緒の部屋で寝ている長男も起き、1ヶ月以上前から楽しみにしていた新しい習い事の体験はリスケし、その後も咳が続いたが、1っ昨日から食欲は復活し、漸く昨日の明け方からは夜間は咳もなくなり、体調が戻ってきた。

10日かかった。長かった。

今の所、長男にうつってないのが不幸中の幸い。

仕事柄、様々な年齢層の女性にお会いするのだが、ご高齢の女性が口々に「若いっていいわね」とおっしゃっていた気持ちを実感を持って寄り添えるようになった。これも不幸中の幸いか。

私は昨日、なんか調子悪かったけど、葛根湯と活蔘でどうにかなった。喉の違和感は慢性的にあるから、うつったかどうか分からない。引越しに伴い、子達と一緒に寝なくなったので、うつるリスクは減ってはいるが、年齢に伴い普通に体力が落ちている。首肩腰のコリと張りと痛みが2週間くらい取れない。

さて、生活パターンが変わって1ヶ月。

思うところはありながらも口にしてくれているおかげで、同居は(私的には)案外どうにかなっている。

というか、私が即すべきことは生活の一部分のみで、彼が合わせてくれていたり、私がやらないことを私にするよう求めることもせずにこっそり全部やってくれているので、負担がとてもアンバランスになっていると思う。しかし私は言われてもやらない。というかやれない。ということまで考えた上でやってくれている。ありがたい。

ブログ上での呼び方を、彼にするかパートナーにするか決めかねているが、どれもしっくりこない。推しのままでも良いだろうか。どうでも良いことだが。

私ももちろんだが、子達の生活の上で、彼がすでに必要不可欠な存在になっているらしい。

次男の気持ちは、複雑な状況にあると思うが、3人で暮らしていた時に比べると、落ち着いているようには見える。無理をしている感じでもないと思う。私がそう思いたいだけかもしれないけど。

長男は、はっきりと「いなくなったら僕が困る」と言っている。母の気持ち云々ではなく、自分の側にいてほしいようだ。

学校が始まったら、またリズムが変わるので、どうなっていくか分からないけど、とりあえず私はまだ30箱以上残っている段ボールをどうにかせねば。やる気にならんけど。