またまたものすごく久し振りの投稿になってしまった。
現在進行形で色々あり自分のあれこれどころではないのだけど、若干の現実逃避も兼ねて毎日何かしらの発見や成長をしたい欲に駆られているので、おそらく数日どころか今日で終わるかもしれないが、日々の出来事を端的に綴っていこうかと思う。
2024年2月3日(土)
長男の卒業式に向けて、スーツを手作りしようかと思い生地など揃えたものの、腰が重くてジャケットの生地の裁断で止まっていた。
早いところジャケット仕上げてパンツも裁断縫製しなきゃだけど、先がすごーく長そうだ。卒業式まで1ヶ月半。フルで働きつつシンママ業もしつつ受験終了して遊びに行く予定も色々ある状態で仕上げられるのか、進行予測が立てられない。
とりあえず今日は午前中に少し時間があったので、バイアステープを貼った。
三年前に次男の卒園式と入学式のために縫った時は、裏地なしで簡単な作りにしたからか、バイアステープを使った記憶がない。(記憶の自信もない。)
指定の幅のものが近所のユザワヤになかったから、ちょっと細いテープを使ったのだが、これで大丈夫だったかどうかはまだ分からない。
午後は次男の習い事の送迎の待ち時間が75分ほどあったので、久し振りに図書館に寄った。
特に何を読もうか決めずに行ったけど、先日「若きウェルテルの悩み」を読んだことがないという話をしたことを思い出し、斜め読みでザッと読んできた。
なんというか、深いんだか浅いんだか分からない、読む人によって受け止め方がかなり変わるだろう話だった。ウェルテルに共感する気持ちもなくはないけど、40を超え色々あった身からすると、ウェルテルのジメッとネチャッとした気持ちが重いとも思う。そんな一方的な想いは受け入れられない結末が見えているだろうよ、と。
ゲーテの実体験をもとに書いた話、ということを知ると、書くことで自分の苦悩を昇華させたのだろうか、自分の気持ちはウェルテルが死を選ぶことで成仏させてゲーテ自身は82歳まで生きたのだろうか、と、ゲーテの自分を客観視して芸術に活かす才能に、さすが天才だとしみじみ思った。
芥川龍之介も、ぼんやりとした不安、を、書くことでどうにかできていたらなぁ、とも思った。太宰治は書くことが嫌になった、という遺書があるらしいので、書くどころの状態ではなかったのだろうけど、どちらも早くに逝ってしまっていて悲しい。
それにしても250年前の20代のゲーテ、文章の構成が、なんというか洒落ている。読んでいて、舞台やドラマを観ている気分になった。言葉遣いは翻訳者によって変わってくると思うけど、情景が浮かんで色彩豊か。自然科学者でもあるからなのか、的確かつ美的センスに溢れる美しい文章だった。
ゲーテの作品を色々読みたくなった。とりあえずもう一回、斜め読みせずにじっくり読んでみたい。
最近、歳のせいか言葉がスッと出てこず、そもそも語彙力が低下している気がするので、まず先月衝動買いして手元にある芥川の作品集を読もう。