肯定できる自分

2024年6月16日(日)

今日は7%のIPA350mlと7.5%のIPA350mlとロックでブラントンゴールドを飲んだ。どれもとてもおいしかった。

私が2杯以上飲むのは大体誰かと飲む時なのだが、今日の話題は楽しい話題かというと、楽しいだけの話題ではなかったかもしれない。

大体こういう時、後で「あの発言はするべきじゃなかった」とか「無理してあの態度にしたのは正解だったかもしれないけど、しんど」とか思うのだが、推しといるときは、無理をしてない、かつ、言動を後悔するということが今までない、という、私にしては、とても珍しい状況になる。

おそらく推しの深過ぎる懐によるものなんだろう。

元来、かなり嫉妬深く独占欲の塊だった私を、過去の話を心情的にちょっとチクッとするくらいでおさめられているのは、推しの話し方によるものなのか、私の少ないけどそれなりに長い人生経験によるものなのか、それも美味しいお酒による多幸感によるものなのか。

兎にも角にも、一緒にいると、推しのことだけでなく自分のことも好きになる。

この状態、精神的に完全に依存している気がして、物理的に離れていると少し不安になる。少し、というのは、数日離れると、推しが推し過ぎて現実が現実離れしている故に、自分が身を置いている状態がフィクションなのかと思えてきて、案外大丈夫になる。というか、それくらいのマインドでいないと、別離が訪れた時に自分がどうなるか心配なのだ。

あーだこーだ書いているが、明日から1週間会う予定がないのだが、そのことが寂しくもあり、同時に自分がどんな感じの心境になるのか、客観的に知りたくて楽しみでもあるのだ。気持ちを溜め込んで、もう上限だと思っている大好きが更に上にいくのか、気持ち的に落ち着くのか。

母である自分、女性である自分、仕事をしている自分、どれも自分には変わりないのだが、人生折り返しをもう過ぎている年齢にもなったし、どの自分も肯定できる人生だと幸せだな。

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